棟梁 橋本孝一の想い
職人としてのこだわりを徒然なるままに記しました。

はしもと住宅店の考える住福祉の家とは…。

今日もありがとうと日々感謝し乍ら楽しく人生を送りたいものです。家にいる時間を家族と共に、又は自分流に有意義に使うことも必要だと思います。例えば、庭づくり(庭の手入れ)、サンルームでのティータイムや日向ぼっこ、音楽、動物を通じての家族の絆、笑いが絶えない家庭でありたいと願うことにも努力を積み重ねていきたいものです。老後に備えて自分のことは日頃から自分でする習慣を身につけておくことが、いざという時に役立ちます。

そこに潜んでいる、表現を変えれば住みやすいカビの問題、そして結露対策やダニ対策、人体に悪影響を及ぼすことを含えた衛生とはをしっかりと計画すること。自分だけの時間を無駄なく過ごせる場の確保も忘れてなりません。健康を維持していく上でも、又、プライバシーを保つ上でも重要なことです。

最後に地域と住まいを考えるとき、景観は、そして暮らしは、地域と家庭の結び付き、それと家族との絆…隣近所に視点を置くとき、最も大切にしなければならないのは、際の整備と間の空間をどの様に活かすかを考えると、京都の祇園、先斗町、伏見の町家、東京の佃島の路地、渋谷宇多川の路地、福島県会津の大内宿の家並、奈良県大宇陀の街並等、数えればきりが無い程、先人達が残してくれた町並があります。

その地域に住まうとは何が大事かを考えた時、住福祉の家がぼんやりと脳裏に浮かんでくるのではないでしょうか。
全国に残された素晴らしい路地や家並み、そして町並、それを造ってきた人々、住み手と造り手が一緒になって造り上げてきた結果が今も場(空間領域)に溶け込んで住人達に大切にされ、使われて来ているのです。
私達もそれに負けない努力をすること、それには先ず視ることから始め、良い物や良いことは真似てみる、工夫する、結果としてそれが自分流になり、地域に根差した拘りとしての風景の一齣となり、地域の住人達に使用されて行くことが望ましいことだと思います。

はしもと住宅店の考える東北SCマイスターグラブとは…。
2005年5月10日東北SCマイスタークラブが設立しました。東北6県で8社が6ヶ月間SCの理念、原理、原則、を物理的に学びました。東北地方、そして、各々が自分達の地区に根差した建築を自分達で身近なところから提案して、地域文化の向上に寄与して行く事が、マイスタークラブとしての役割であると思っております。「住福祉の家」を施主様と一対になって築いていく事が、地域社会への貢献でもあると考えております。
「住福祉の家」が私共の理念である「いつまでも快適に暮らせる住まいづくり」を推進してゆく事だと思っております。
住福祉の知識と技術をもって快適な暮らしへの実現に努力してまいります。
「住福祉の家」が私共の理念である「いつまでも快適に暮らせる住まいづくり」を推進してゆく事だと思っております。
住福祉の知識と技術をもって快適な暮らしへの実現に努力してまいります。

地域の工務店の力量が問われるとき…。
団塊の世代が、定年を迎える時代に入り、私どもの地域の工務店の力量が問われる時がきました。SCマイスタークラブで学んだ住福祉や長年養ってきた技能を活かし、地場材を活用することによるスローライフでの仕事の取り組み、施主と共に家造りを楽しむ、ハウスメーカーとの差別化を明確にした、地域循環型の住まい造りを行なう事が地場工務店の仕事と考えております。
地域の歴史や文化を、仕事を通して100年、150年へと伝えることができるのです。
今後は、その役割をしっかりと行なっていくために本年を『住福祉元年』と位置づけ、地域へ貢献して参ります。一棟一心、新たな気持ちで…。
地域の歴史や文化を、仕事を通して100年、150年へと伝えることができるのです。
今後は、その役割をしっかりと行なっていくために本年を『住福祉元年』と位置づけ、地域へ貢献して参ります。一棟一心、新たな気持ちで…。

「家は3軒建てないと、満足出来る家造りが出来ない」…本当?!
家は三軒建てないと満足出来る家造りが出来ない」と、昔から良く言われて来たが最近、あまり聞かなくなったのは、私だけだろうか。家づくりか、家を買うか、どちらも自分の希望に少しでも近い(満足出来る)物を選ぶことが出来る様になって来たからなのかは、一概に決め付けることは出来ないのだが、最近は展示場等で、見て、聞いて、体感できる。自分の考えていることをわかりやすく伝える事ができ、造ることが可能になったからなのだろう。
家を求めるために大切なことは、昔も今も基本的に変ることはないと思うが、そうとも言えない部分もあり、賛否両論であろう。
造ることと、買うことは同じように思えても同じでない事がある。
家を造るということは※未完成から完成へと長い年月を経て変化していくことだと考えられる。そこには人々の暮らしの中で家族の絆や子供達を含めた諸々の変化(成長)の物語(ドラマ)がある。その時代、時代に合った暮らし方に対応出来る未完成の家が、住む人によって変化し、安らぎや満足を与えることが出来き、その事が結果として失敗しない家づくりに繋がり、三軒も建てなくても満足出来る家になるのではないだろうか。その時代の暮らしに対応し、手当てをした家は使い勝手も良く、重厚を増し歴史を感じ、地域に溶け込み、人々に安心感をもたらす。その家で暮らしてる人達、家族のにこやかな笑顔が隣近所(向い三軒、両隣)に活力を与える源となり、代々住むことが出来る家として完成するのである。最初から完成された家を買うそれは買う段階の時はそれで満足する。しかし、子供の成長、親の介護などの変化にどう対応していくのか。家を求める時点では希望通り満足(ある程度)して求めた家が5年、10年と住んでいるうちに変化に対応することが難しく、我慢をするようになる。買った時は良かった(満足)が、後には不満(ストレス)が充満した家になり、その結果20年、25年での建替えは資源の無駄使いになる。
話は戻るが、家を「造る」と「買う」は良く考えてみれば、違いは明白である。一時の満足が結果としては環境破壊、地球温暖化に寄与していた…なんていうことにならないように、皆で気を付けたいものである。
家を求めるために大切なことは、昔も今も基本的に変ることはないと思うが、そうとも言えない部分もあり、賛否両論であろう。
造ることと、買うことは同じように思えても同じでない事がある。
家を造るということは※未完成から完成へと長い年月を経て変化していくことだと考えられる。そこには人々の暮らしの中で家族の絆や子供達を含めた諸々の変化(成長)の物語(ドラマ)がある。その時代、時代に合った暮らし方に対応出来る未完成の家が、住む人によって変化し、安らぎや満足を与えることが出来き、その事が結果として失敗しない家づくりに繋がり、三軒も建てなくても満足出来る家になるのではないだろうか。その時代の暮らしに対応し、手当てをした家は使い勝手も良く、重厚を増し歴史を感じ、地域に溶け込み、人々に安心感をもたらす。その家で暮らしてる人達、家族のにこやかな笑顔が隣近所(向い三軒、両隣)に活力を与える源となり、代々住むことが出来る家として完成するのである。最初から完成された家を買うそれは買う段階の時はそれで満足する。しかし、子供の成長、親の介護などの変化にどう対応していくのか。家を求める時点では希望通り満足(ある程度)して求めた家が5年、10年と住んでいるうちに変化に対応することが難しく、我慢をするようになる。買った時は良かった(満足)が、後には不満(ストレス)が充満した家になり、その結果20年、25年での建替えは資源の無駄使いになる。
話は戻るが、家を「造る」と「買う」は良く考えてみれば、違いは明白である。一時の満足が結果としては環境破壊、地球温暖化に寄与していた…なんていうことにならないように、皆で気を付けたいものである。
※未完成の家
人の成長変化へ対応しやすいこと。親から子へそして孫、曾孫まで受け継いで行く事が可能な家を想定しての表現。